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は、と吐き出した息が、白く昇る。それを目で追い、橘は灰色に濁った空に視線を移していた。
「さみぃ」
呟いた声は、雪原に吸い込まれて消える。真っ白な静寂は花鶏の住人を家に閉じ込め、ただゆっくりと時間ばかりが過ぎていた。
蜉蝣の彼等では、買い物すらままならないだろう。そんな彼等のために雪かきをしているうち、気付けば右も左もわからなくなってしまったのは誤算だった。
簡単に言ってしまえば、迷子。もっと言えば、遭難。
溶けた雪を吸った手袋は冷たく、指は悴んでいる。折り込むように拳を作り、ほんの僅かでも暖を取ろうとした。
雪に反響して柩の声が聞こえる。橘を探しているらしい。
声を出せば、きっと彼はすぐにでも飛んでくる。だというのに口を開かないのは、単なる意地。あの蛍の負担を少しでも減らしてやろうと意気込んだらこれだ。ひどく情けない。
「橘…っ」
さく、と近くで足音がして、目をやると長い髪を風に靡かせた蛍がいた。真剣な表情が安堵に緩み、途端に不機嫌な顔になる。無駄のない所作できびすを返した。
背中越しの、低い声。
「早く帰るぞ。お父様が心配している」
「お前はどうなんだよ、柩」
二言目にはお父様。いつだって自分の事は後回しで、尋ねても答えてくれることなど殆どない。だけど今は、聞きたかった。
「俺のことは如何でもいい」
墓だとか骸だとか、そんなことは橘には関係ない。柩は、最初の印象通り明日を意味する陽継のままだ。
どうして目の前の蛍より、背が低いのだろう。どうして目の前の蛍より、力も弱いのだろう。本当は対等になりたかった。守られるばかりではなく、一緒に闘って、同じ位置に立ちたかった。
なのにそれを告げれば、柩は怒る。
答えのない目の前の蛍の背中に触れたくなって、手を伸ばす。だが届かない距離に手を握りしめた。雪を踏み締める音を遮るように、マフラーに顔を埋める。
この蛍に追い付く日はいつか来るのだろうか。
この蛍と対等になって、認められたその時は。今度こそ真正面から言えるだろうか。
お前は目標だったのだと。
「……さみぃ」
はぁ、と、聞きなれた溜め息を吐き出している。
灯屋が見えると、情けなさに橘は家まで走り出していた。前を歩く柩を追い越す一瞬に、小さな呟きが耳に入る。
「……したに決まってるだろ」
それは、遅れた返答だった。辺りが雪に埋もれていなければ、気付かないほどの声。もしかしたら、橘に向けたわけではないのかもしれない。伝えようとして口にしたわけではないのかもしれない。けれど、それがどこにかかっているのかなんて、すぐにわかる。
目だけで表情を確認して、長い髪に隠れて見えないのが悔しい。今湧き上がる感情は、ただひたすらに、歓喜。
―――お前はどうなんだよ、柩。
心配しなかったのか、と。
心配して欲しかったわけではない。だが、彼の心の片隅にでもその気持ちがあったなら、嬉しいと思ってしまったのだ。知ればなんて調子のいい、と誰かに笑われるかもしれない。だけど。
灯屋に着くまでの間、ずっとこの蛍は答えを考えていたのだろうか。そう思うと可笑しくて可笑しくて、笑いが込み上げてきた。
立ち止まることなく灯屋の戸を思い切り開け、外れそうな音を立てたが気にせず、お父様の姿を探す。
「ただいま、お父様!」
あんなに寒かったのに、今はこんなにも暖かかった。
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