[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
何となく顔が見たくなってウェイバーがいる執務室へと赴けば、丁度用事を済ませたらしいミス・ライネスと鉢合わせた。彼女と共にウェイバーで遊ぶのは私──メルヴィン・ウェインズにとって楽しみの一つであり、更に言うならその時のあの男の顔と来たら想像するだけで笑えてくるほど面白いものである。ただそれは、かの男がそこにいる時のみであり、つまりミス・ライネスの標的が一点に向いている状態を示す。
残念なことにたった今長い黒髪の彼は眉を顰め、ライネス嬢から受け取った書類と本を抱え、奥の部屋に入ってしまった。仕方がないので遠慮なく来客用のソファに腰かければ、トリムマウがポットの紅茶を白いティーカップに注ぐ。ティーコゼーで温もりが保たれたそれは、この季節に合うマロンのフレーバーだった。ミルクが置いてあるのは、今はいないが強引に同席させたグレイのためのものだろう。彼女はミルクティーも好きそうだし、テーブルに全部でカップが四つある。ライネスが選ぶにしてはえらく安っぽい、見たことがないから恐らくブランドでさえないマフィンはその彼女が買ってきたのだろうか。それともウェイバーか。と考えたが、ウェイバーがライネスをもてなすとは考えられないため却下し、予め彼には伏せるようにと口止めされた少女が、せめてものもてなしに用意したものだろう。
「まったく懲りないな。あの兄だけはやめておいたほうがいいというのに」
|陶器人形《ビスクドール》にも似た白い頬を愉悦に歪ませ、声だけは|鶯舌《おうぜつ》でも内容はいつもと変わらず悪趣味だ。いい加減私を玩具にするのは辞めて欲しいところだが、それで苦悩する姿を見るのを楽しむ人でなし同士、気持ちはわからなくもない。
「それは途方もない願いを抱くウェイバーに向けてのことかい? それとも叶わない願いに届くことを願う、グレイさんのことかい?」
「傍観者で在り続けることでしか傍に居られない、メルヴィン、君に向けての言葉だよ」
少女はひとくち紅茶で喉を潤すと、焔の瞳が愉快な色を灯す。全くもって此方としては愉快ではないのだが、表情を崩してしまえば相手の思うつぼだ。
「私は寧ろ積極的に彼に関わっているよ。何しろ彼といれば面白いことが次々見られるんだ! それも特等席でね!」
そう、彼といれば自分では思いもつかない出来事に遭遇し、リスクなど瑣末に感じる程楽しませてくれる。だから、傍観者などではない。けれど彼女は指より白いティーカップをソーサーに戻すと、肘掛に肘をたて、小さな顔をゆるく握った指で支えた。
「そういうことじゃないよ、メルヴィン・ウェインズ。君が抱く、勝手に『親友』と言い訳をつけた恋情に対して、私は言っているんだがね」
『勝手に親友だと言い訳をつけた』とは、随分な言い様だ。現に今、メルヴィンとウェイバーは『親友』であるし、だからこそ返済は最大限待っている。これはたったひとつの、これ以上ない理由でさえある。
「予想が外れたようで残念だけど、私とウェイバーは正真正銘の親友だよ。あの空港で約束したのだから、それで十分じゃないか!」
「親友やら友人というものは、本人同士がわざわざ定義するような明確なものではないと、最近の私は思っているんだよ」
微笑む彼女には余裕があった。まるで本当の『友人』を、『親友』を知っているかのような、穏やかな眼差し。ウェイバーと共に消えていった灰色の少女が瞳に映っている気がして、打ち消したい自身に気付いた。
生まれたのはこの世界で、育ってきたのはこの世界で、欲望と作為と簒奪の中で育ってきたが、もしも、それらを全く考えていないと確信出来る人物と本当の『友人』となれたら。少女は誰にも見せたことのない笑みをその人に向けるのだろうか。
それこそ有り得ない。有り得ないが、たった一人だけ知っていた。ライネスにとって利用価値など微塵もなく、また彼女もライネスの利用価値など興味がないのに時折ティータイムを楽しんでいるらしい女性の存在を。知らぬ間に奥歯を強く噛んでいたようで、力みすぎて喉から血液が逆流するのを感じチーフを口にあてた。鉄の味を吐き出せば案の定鮮血がついていたが、そんなことはどうでもいい。
「たとえそうだとして。たとえ、私が親友以上の情を抱いているとして。君が私にそれを伝えるメリットはなにかな?」
「特にないさ。ただ……そうだね。敢えて言うなら兄の『親友』である君が、これ以上傷つかないため……というのはどうだい?」
「随分笑える冗談を言うねぇ、君は。君は人が堕落するさまを楽しむ人間だと記憶していたのだけど」
────苛々する。
今目の前で、とうにわかりきったことを揚々と話しているライネスにも。
ウェイバーに並々ならない情を抱いていると気付く前から、彼が何処か遠くを見る寂しさを寂しさと自覚する前から、そして全てを飲み込んだ後今まで。
決して伝えてはならない想いは、傍に居続けるためには決して手を伸ばしてはならない。
決して抱いてはならなかった想いは、抱いた瞬間叶うことなく埋葬されると決まっていた。
だから全部わかっていて、気付いていて、それでも捨てきれなくて、少しでも彼の心の片隅に居座りたくて、此処に訪れるのだ。
「心配しないでくれていい。誤解はともかくとして、君に心配されるほど不器用ではないからね」
誰に忠告されてもどうせ変わらないのだから、放っておいてくれたほうが余程いい。
≪ 悪食家になど滅ぼされないさ | | HOME | | 墓守と人間とどっちつかず ≫ |