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こうして夜は更けていく


 太陽が地平に溶けようとする時刻。
 庭はうっすらと橙色を滲ませ、あと半刻もすれば夜の色へと変わりきるだろう。
 響く短刀達と岩融の声は楽しげで、彼等が遊んでいるのだと知らせる。この季節は陽が暮れれば冷えるが、此方がわざわざ言わなくとも、自主的に引き上げてくるはずだ。
 光忠は審神者に割り振られた畑仕事を終え、自身の部屋に戻る途中だった。渡り廊下で足を止めてしまったのは、障子が開け放された部屋の壁際で、学生服を纏った青年が読書しているのを見つけたからだ。
 ゆるい胡座をかき、文庫本を目線の高さまで持ち上げている。座布団を敷くわけでもなく、部屋の中央にあるローテーブルにつくこともない。恐らくほんの気紛れに読み始めただけだ。だが陽が暮れ始めてもそうしているのは、それだけ集中しているから。
 差し込む夕陽はちょうど、その室内の色を変える。漆喰の壁はオレンジがかり、大倶利伽羅の姿を陰でかたどっていた。
 一人を好む青年からすれば、こんな時間は何にも変えがたいはずだ。誰もそれを邪魔する趣味はなく、故に用がない時は敢えて構いに行くこともない。
 再び歩を進めようとしたが、何処からか太郎太刀が近づいてきたのを見つけてやめる。彼の目線は遠く、戯れる少年達に向けられていた。ゆったりとその縁側に腰を下ろし、肩が僅かに下がったのはため息を吐いたからか。
 人影には気付いていないらしい。その巨躯は陽光を遮り、室内を一瞬にして翳らせてしまった。
 集中の途切れた青年が、漸く顔を上げる。
 色素が薄い太郎太刀の頬は夕陽が映り込み、鮮やかに彩られた。そのさまは現世に確かに存在すると証明している。
 大倶利伽羅はまるで時間が止まったかのように動かない。見惚れているのかと考えたが、それとは少し、違うだろう。

 訪れを報せるように、木々の葉が小さくささめき始めた。ゆるりと吹いた風は花の匂いを運ぶ。この香りは―――そう、丁香花だ。
 自然な甘さの香りで鼻腔をくすぐる。もうあの花が咲く時期になったのか、と勝手に納得して、視線を巡らせた。
 石を組んで作られた花壇は手入れが行き届き、草木が青々と茂っている。光忠はあまり花に詳しくなくて、名称は殆どわからなかったが。
 ぱしゃり、と、水音がした。どうやら庭池の鯉が跳ねたらしい。鯉が作り上げた波紋と、表面を撫でた空気の軌跡が揺れている。魚の姿は、もう水中深くに潜ってしまい、陰すら残っていない。橙の光が映り、まるで、池の色まで変えてしまったかのようだ。小さく息を吐いて、揺れる水面と、花壇。そして日常の風景にもなりつつある彼等の姿をこの目に映す。
 いつの間にか短刀達の元に、派手な男が混ざっていた。次郎太刀だ。
 数人の少年と共にいると妙な違和感があるが、きっと慣れていないせいだろう。
 彼等が何を話しているのかは聞き取れない。だが、楽しげな声がいっそう賑やかになっていた。
 切り取った星空であしらわれた着物と、露出した白い肩が夕陽に焼けている。化粧が濃いせいでわかりづらいが、性格は違えど本来の見た目はよく似た兄弟なのかもしれない。それがひどく微笑ましい。

 背後から近付いてきた速い足音に振り返れば、長谷部がいた。眉を顰め、主の前では決して見せない不愛想さだ。何をしてるんだ、と開きかけた口が、燃える空に視線をやって閉じられる。
 ほんの数分前まで遠くの空には青が残っていたというのに、すっかり朱色のほうが多くなっていた。夜の色に変わるのは、あっという間になる。まだ少し夏になるには早いようだ。
 綺麗だよねぇ、と呟き、目を眇める。眼帯に不満はないが、こんな時は少しもったいない。その美しさを両目に焼き付けることは叶わないから。だが、それを悲観するわけでもなく、ただ、そう思うだけだ。
 次郎太刀が兄の視線に気付いたらしい。兄貴もこっちに来なよ、と手招きをされ、太郎太刀の頬が綻んでいた。
 仕方がありませんね、と、呆れるようでいて、慈愛に満ちている。座った時と同じように、穏やかな所作で彼らの元へ去っていった。
 再び大倶利伽羅のもとには陽光が射すが、もう本を読むことはあきらめたらしい。
「僕も、そろそろ行かないと、だよね」
 今朝、夕餉の支度を審神者から言いつけられていた。青年の姿を見つけて足を止めてしまったが、厨へ向かわなければならない。
 神の一種でもある刀剣男士は、本来食事の必要がない。食事を取らない者もいるが、人の姿を得た今はそれを楽しみたいと最初に言い出したのは一体誰だったか。もう、覚えていなかった。
 野菜を作り、戯れに食事をする姿は人間のようで可笑しくなる。それでもそうすると決めたのは、自分たちの意思でしかない。
 聖職者の格好をした男に、生真面目な顔で告げられるのは、彼なりの冗談だ。
「手は抜くなよ」
「ああ、勿論だ。カッコ良く作らせてもらうよ」
 ふん、と笑って部屋へ向かう彼を見送り、元来た道に目をやる。今からならば、いつも通りの時間に準備は終えられるはずだ。
 陽が沈みきるまで、あと少し。
 光忠は薄暗くなっていく廊下を、再び歩き出した。


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