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何処かで馬が嘶き、山姥切国広は深くかぶった布を指で上げて、辺りを見回した。終わろうとする季節の空気に、湿気った匂いが混ざっていて雨が近いことを知らされる。
今回与えられた任務は江戸時代と呼ばれる過去の見回りだ。通常の出陣と違い戦うことは滅多になく、練度が高い山姥切国広と燭台切光忠だけの編成となっている。
初期にこの本丸についた二振りは既に熟練の域に達していて、ここ最近戦闘に入ることはごく稀だ。曰く、他の刀剣男士との練度差を出来るかぎり無くしたいとのこと。
繰り返される遠征は、徳川の時代に入ってから穏やかな社会となったが、遡行軍はそんな安寧を壊そうとするかもしれない。という理由からだ。
一回につき数時間程度の見回りでは、今のところ特別な変化はない。しかしこうして見回りを続けることで、些細な変化に敏感になれるだろう。そして報酬として政府からは資源や手伝い札が支給されるために、ほとんど日課になっていた。
繰り返される出陣で見慣れた景色と、見慣れた格好の人々。けれど今日という日は今しかないのだから、明日も明後日も同じとは限らないだろう。
この時代の人々にとって洋装は目立つはずだが、誰ひとりとして気にしていない。皆忙しくそれぞれの時間を過ごしているのは、彼らに刀剣男士の姿が見えていないからだ。この時代の者に刀剣男士たちの姿が見えてしまえば、それこそ大騒ぎになってしまう。
歴史修正主義者たちが隠れそうなところはあらかた回り終わって、不意に目をやると露天商がいた。
路地に直接敷かれた一枚の畳には、美しい小物が並べられている。燭台切の眼差しがある一点に注がれていて、そういえば、とふと思い出す。隣で歩く男は、大倶利伽羅を気にかけているようだった。
といっても、馴れ合いを好まず、一人でいることを望む男の世話を甲斐甲斐しく焼くわけではない。
時折、大倶利伽羅をじっと見つめていることがある。その程度のことだ。
それでもその金色が柔らかく綻ぶところは、きっと大倶利伽羅だけに向けられるものなのだろう。
そんなことに気付いたのは最近のことで、理由は至極簡単。大倶利伽羅とは本の貸し借りをすることがあるせいである。視線を感じた先にいるのはこの男で、どうやら大倶利伽羅を見ているらしいことがわかった。
畳を一枚引いた店に並べられているのは、漆黒に金の龍があしらわれている櫛だ。
燭台切は大倶利伽羅を女性扱いしたいわけでも、女性のように扱いたいわけでもないように見えたから、少し意外だった。
そうしたところで、大倶利伽羅は胡乱な目を向けていそうだが。
単なる旧友、とは違った関係の二人は、山姥切や他の刀剣男士には見えない特別な絆があるのかもしれない。山伏や堀川のような兄弟に向けるものではなく、庇護欲に近いその感情は、互いにとって互いが特別なのだとわかった。
会話は少なくても、それが必ずしも不仲というわけではない。
貼りつかせた視線を元に戻し、嘆息している。
「何か不満でも?」
「え? なんでもないけど……どうしてそう思ったんだい?」
どうやら無意識だったらしい。
この時代での買い物は原則禁止とされている。過去の人々との関わることで、何か大きな変化が生まれるかもしれないからだ。
一頭の蝶の羽ばたきが、長い時間をかけて遠い地で竜巻を起こすように。それは自然に対しても変わらないし、無意味に転がっているかのような石礫にだって、重要な意味が隠されているのかもしれない。
物言わぬ刀剣、道具、無機物といえど、一ミリ動かすことで容易く因果が変わる。燃えるはずのなかった刀剣が、間一髪で救われるかもしれない。そうなればその後の歴史が、全て変わる。歴史を変えないために活動している白刃隊からしてみれば、一番避けるべき事柄だ。
救われずに嘆き過ごすことになった日々の何もかもが消え、救われて喜ぶ日々へと、変化する。
それはいいことのように聞こえるかもしれない。何も悪いことにはならないかもしれない。だが、喪われたことで名声を得た人間がいたように、失われて初めて何かを得た者がいるかもしれない。
厳しすぎるとしてもたった一輪の花を摘むことさえ許されないのは、未来からの干渉を出来うる限り減らすためだ。
「いや、どうもしないならいい」
首を横に振ったが、すぐに自らが吐き出したため息に気付いたのだろう。任務の最中に他のことを考えるなんていけないね、と微笑んだ。
「……もしも」
願ってはならないことだが、たとえ話をするぶんには自由なはずだ。気まぐれに無駄話をするのも、悪くはない。
「もしも土産を選べるとしたら、あんたは何を持ち帰るんだ?」
唐突すぎたかもしれない。男は見えているほうの目をしばたたき、少し考えるように天を仰ぐ。今思い浮かべているのは、本丸で待つ大倶利伽羅だろうか。
「僕は……ないよ」
「ないのか?」
てっきり先ほどまで見ていた櫛だと思っていただけに、妙な声が出てしまった。それに気付いているのかいないのか、燭台切は、今歩く道が続くほうを指差す。
道をまっすぐ進んだところに、小高い丘があるのを初めて来たときに見付けた。
「この先に景色が綺麗な場所があるだろう?」
確かにそこは見晴らしがいい。この季節には小さくて黄色い花を咲かせる木が並んでいた。
今も風に、その花の香りが運ばれてくるような気さえする。
「あの景色を、一緒に見たい人がいるんだ」
「そうか」
それは誰か、などと無粋なことは聞かない。
多分思い浮かべているのは、たった一人に違いないから。
隻眼の男が何故大倶利伽羅を選んだのかはわからない。けれどそれでいい。本人達にしかわからないことで、もしかしたら本人にすらわからないことなのかもしれないのだから。
「景色も、感動も、持ち帰れるものではないからね」
行き交う人々の波に流されながら、空を見上げる。二二〇五年と同じようでいて、少し違う色をしていた。
陽が陰ってきたせいで、先ほどよりも人通りは少ない。もとの時代に戻るのはもう間もなくだ。
一際強い風が砂塵を飛ばし、目を細める。
ぶわりと布が閃いて、押さえる暇もなく頭から離れていく。
時間跳躍の加速度に耐えるべく、目蓋を閉じた。
燭台切がそれを叶える日は来るのかさえ確定していない未来だ。けれど、いつか来るのだろう。
「きっと見られるさ」
呟きが届いたのかはわからないが、燭台切が微笑んだように見えたのは、気のせいではないだろう。
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