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紅い。
紅い紅い華が、地面いっぱいに咲いていた。
ここに咲いているのは毒々しいほどの紅だが、雪のような白い色も咲くと聞いたことがある。その華に葉はない。華が散るまで葉は出ない。葉は華を想い、華は葉を想う。相思華とも呼ばれているらしい。
光忠はそこで足を止め、花畑を見渡した。
花には花言葉があると聞いたのは、審神者からだった。
足元に広がる曼珠沙華を、かがんで一輪手折る。この華には毒があると聞いたことがあるが、皮膚からではなく、経口摂取で初めて影響が出るはずだ。
この華の花言葉には、哀しい思い出、諦めという意味も含まれていたはずだ。
今や光忠にとって、愛しい人―――大倶利伽羅と共に過ごした日々は、既に過去のこと。哀しい思い出となっていた。
大倶利伽羅が破壊されたと聞いたのは、たった数日前のことになる。けれど光忠にとってこの数日はとてつもなく長いようでいて、あっという間に過ぎたようにも思う。乾燥し始めた風に揺れる華を見つめ、やがて目蓋を閉じる。
破壊は、人間にとっての死と同じだ。死んでしまったものは、二度と還らない。どれだけ望んでも、何を願ったとしても。『付喪神』という存在自体が消えてしまえば、たとえ本体が残ったとしても、ただの抜け殻だ。
光忠とて一度は死にかけた。焼け焦げ、武器としての価値を失くした。けれど今こうしているのは、水戸徳川が本体を保管し続けていたからに他ならない。
壊れてしまったものは、決して元には戻らない。人の命と同じように。
この現実が夢や嘘だったなら、どれだけ幸せだったことか。恋人の死を前にして、一度たりともそう願わない者など、きっといない。けれど、大切な人の『死』から目を背けるような、格好悪い真似はしたくなかったのだ。
あの青年は誰もいない部屋で、静かに本を読むことを好んでいたように思う。そんな彼の邪魔をする必要もなく、理由もなかった。用事があれば話すことはあったけれど、それで十分だったといえば、そうだったのだ。
時折交わされる会話で聞ける、柔らかな声は心地よかった。彼自身を、自分が思っていた以上に好いていたことに気付いた時、動揺することもなく、まるでそれが当たり前かのように受け入れられた。
彼に好意を持った理由も、恋情を抱いた理由にも、元の主が同じという共通点は、関係ない。
ひとりでいたいなら、そうすればいい。彼の嫌がることをしたくはなかったし、彼がそうして穏やかな時間を過ごしていると思うだけで、充分に満ち足りていた。
想いを告げようと決めたのは、どうしてだったのだろう。ただ理屈じゃなく、どうしても伝えたいと思ったことは確かだ。
そうと決めたら、躊躇はひとつもなかった。
同性であることが差別に繋がる時代もあったと聞く。だが、性別に興味はなかったし、自身に一番影響を及ぼしている伊達政宗がいた時代は、男色が当然の時代だった。
ただこの恋情が、単なる刀であれば持たなかったであろう感情であることは、わかっていた。そしていつか、すべての戦いが終わったとき、想いを遂げたとしても、別れの哀しみを強くすることも、わかっていた。
それでも伝えようと決めたのは、限りある刃生なのだから、悔いを残したくなかったからだ。
いつか別れるのならば、後悔などしたくない。悔しいことも、哀しいことも、誰かを愛しいと想う感情と共に生まれたのだから。それならそれでいい。そう、思っていたからだ。
受け入れてくれたのは、彼の本心だという確信が、今でもある。雰囲気に流されたとか、そういった類ではなかった。
彼は誰かの本気には本気で考え、応えようとする、そういう格好よさがある。そんなところにも惹かれたのだ。
言葉で示せば、大倶利伽羅が小さく息を呑む。姿勢を正し、金色の視線が光忠を射抜いた。
「俺は、あんたが好きだ。光忠」
先に告白したのはこちらのほうなのに、まるで告白し直されたかのように、真っ直ぐな言葉だ。
「ありがとう」
けれど驚きはひとつもなくて、答えなんてずっと前から知っていたかのように、素直な言葉が出た。
甘いものが好きだろう、と和菓子を差し入れたことがある。
審神者の共をするために町に出た際、和菓子屋を見付けたのだ。
本丸にいる間の大倶利伽羅は眉を下げ、眠そうな顔をしていた。だが、以前審神者が買ってきた団子に、ほんの少しだけ嬉しそうにしていたことを思い出したのだ。
ともすれば見逃してしまいそうな、小さな変化でもある。けれど光忠はたしかに、そう感じた。
彼の部屋のふすまを叩き、何の用だ、と尋ねた声に、街で購入した羊羹を出した。
「君と食べたくて買ってきたんだ。一緒にどうだい?」
理由を尋ねる前に、眉を寄せながらも、室内に招き入れる律義さに笑いそうになる。
座布団を敷かれ、そこに腰を下ろす。
強引だっただろうか。けれど理由などそれ以上にはなかったし、必要がないことも確かだ。
美しく輝く星を見つけたときには、大倶利伽羅も同じ星を見ているだろうかと考える。美味しいものを食べたときには、彼にも味わってもらえたらと思う。幸せのおすそわけ、とでも言えばいいのだろうか。
勿論それは共に見られたら一番いいけれど、たとえ離れていてもいい。遠くで、同じ星を見て居られれば。彼も元気でやっていると信じるだけで、幸せになれた。
「これを買ってくるまでの道に、彼岸花が咲いていたんだ」
「ヒガンバナ?」
包み紙を開け、持ってきた菓子器に並べる。そこには紅く小さな華が、透明な羊羹の中に咲いている。
「そう。曼珠沙華とも言うらしいけどね。見たことがあるかい?」
「いや。ないな」
小さく首を横に振っている。ということは、彼は今出した羊羹の中に閉じ込められている、この華の名も知らないのだろう。
花言葉は多いが、情熱、という花言葉が光忠には印象的だった。
炎のような紅い色。赤は、情熱の色とも言われるらしい。他にも花言葉はあるけれど、今はそれを言わなくてもいいだろう。
彼岸のない付喪神は、本体が失われてしまえば、消えるだけだ。生まれ変わることもなく、ただ、消えていくだけ。
燃えるような紅い色は、黒い服を纏う彼によく似合うはずだ。
菓子切りで綺麗に食べている彼を見ながら、つい微笑んでしまう。あの華を見つけた時、一緒に見られたなら良かったのにと、そんなことを考えてしまったから。
そしてちょうど、和菓子屋で見付けてしまったがために、こうして買ってきてみたのだ。
「君に、よく似合うだろうね」
「……どうして俺に」
彼が纏う腰布を見やって、赤は、大倶利伽羅を思わせるのだ。それを口には出さずに、手元にある華を見詰めた。
本物を、彼と共に見られる日が来たらいいのにと、そんなことを考えながら。
まだ彼の持つ造りものの華は、散らないままだ。
「今度は、君と見たいね」
一度目は、今この瞬間だ。この、人の手で作られた華を、共に見ているのが一度目。
そして二度目は、いつかの未来で来てほしい、本物の彼岸花を見る日。
その時、花言葉に込められた願いは叶うのだろう。
そう、信じていた。
花畑で摘み取った一輪の曼珠沙華を、本丸の敷地内にある、薄暗い倉庫へと持っていく。湿度や温度管理は完璧だが、光は外から僅かに入ってくるだけだ。そこにはいくつかの、魂の入っていない刀が仕舞われていた。
付喪神は、刀が刀としての役目を果たせなくなることで消えてしまう。折れた本体はそのまま、審神者が大切に保管していた。
小さく空気を吸って開けた箱にある、二つに別れた倶利伽羅竜を見詰める。
そこに静かに、華を添えた。
「ああ、やっぱり君によく似合う」
さよならの言葉さえ言えずに消えた、あの凛々しい青年を想う。言葉を与えられても、その瞬間に居合わせられなければ別れは告げられない。
けれど。
人は言葉に出来ない想いや、伝えられなかった感情を、花言葉に込めて贈る。
人とよく似た器を持っている今ならば、それも許されるだろう。
彼と過ごした日々は、一度は哀しい思い出になってしまった。しかし、哀しい思い出は哀しい思い出として諦めれば、幸せだった日々として思い出し、笑える日がくる。
今の光忠のように。
また会う日を楽しみに。それはひとつの、諦めの言葉だ。そしてひとつの、別れの言葉だ。
付喪神に来世はない。けれどどの付喪神も、消えた後のことなど本当は誰も知らない。それは人間の死と、同じことなのだろう。
「さようなら、大倶利伽羅」
ぱたりと箱を閉めて、目蓋を下ろす。
「また会う日まで」
これが君にかける、最期の言葉だ。もしも生まれ変わることが出来たなら、その時を楽しみにしていよう。
彼との日々を、哀しいだけの想い出にしないために。
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