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ストレリチアは夜に泣く

穏やかに過ぎていく時間の中で、きっかけは見付けた一冊の書物だった。装丁はシンプルで、それほど分厚くもない上製本。
 誰かが置き忘れたのか、わざと置いたままにしたのかはわからない。畳の上に置き放され窓から差した光に照らされていた。光忠にとっては、それが最初だ。
 このままでは日に焼けてしまうだろう。拾い上げると、ずれた中身が表紙から飛び出る。状態が悪く古い本にはありがちだが、飛び出た頁を押し込んだ。
 表紙はイラストが描かれることもなく、数文字の日本語だけだ。恐らくこれが本の題名だろう。
 別段特筆すべきことのない、ありきたりさ。この本が出版された時代では売れたのだろうか。いや、審神者が戯れに持ってきた可能性もある。
 今日は出陣の命もなければ、内番を任されてもいない。本丸には人の少ない時間帯だ。ひどく緩やかに、時間は進んでいく。読んでみようか。
 興味を持ったのは、単なる気まぐれにしかならない。ちょうど退屈をしていたから。それだけのことだ。
 誰かの本だとしても、置き去りにされている上に栞紐が挟まっているのはラストページだ。読み終えているのだろう。行方を聞かれたならその時こそ誰のものかわかるはずだ。
―――本を読むのは久々だ。
 考えて、違う、と否定した。久々ではない。依代として身体を得てからこっち、そんな時間など与えられなかった。
 記憶に残っているのは元の主の傍に置かれている間のことだ。まるでこの身体で経験したかのように、断片的な映像が甦ることがある。今回もその類だろう。
 読み終わるころには陽も暮れて、出陣していた刀剣男士が帰ってくるはずだ。この本は、そのうちの誰かのものかもしれない。結論付けて、光忠はその本を自室へ持っていくことに決めた。




 夕食を終えて自室へ戻ろうとしていたら、大倶利伽羅に呼び止められた。
「何かあったんじゃないのか」
 話なら聞くと言いたいのだろうか。彼にしては珍しいが、その意味が図りかねた。
 光忠にとって、“何か”ならあった。だが本当に些細な出来事だ。買い物に出掛けたらにわか雨に降られたとか、洗濯物を干したら強風に飛ばされたとか。そういった想定の範囲内にあった予想外の出来事。
 それに一々腹を立てていたらきりがないし、何かにぶつけようとも思わない。
「別に、大したことはないけどね」
 可笑しなところでもあったかいと問いかけそうになり、野暮だと気付いてやめた。彼がわざわざ呼び止めたほどだ。
 だが様子が可笑しいと言われたとて、光忠からしてみれば努めて普段通りに振舞っているつもりだ。どう普段と違うのかを伝えてくれなければ、直すことも不可能だ。
「どうしてそう思うのかな」
「……隙がない」
 低く、呟くような声音で短く告げられる。そうくるとは思わなかった。努めて普通に動いていたはずだが、いきすぎた努力が違和感を生んだのだろうか。
「困ったね。普段の僕は、そんなに隙だらけかい?」
「そうじゃない。いや…………いい」
 誰よりも周囲を見ている姿に惹かれたのは事実だ。だがそれが自身に向けられるとは思いもよらなかった。分け隔てない青年の中に、光忠が含まれてないはずがないのに。
 立ち入って欲しくない領域に青年は踏み込もうとはしない。
 あっさりと引き下がったが、背を向ける大倶利伽羅を、今度は呼び止める。
「少し、話を聞いてくれるかな」
 彼を自室へと促せば、素直についてきた。
 いつ誰に見られても構わないように、部屋は常に整頓してある。壁際に設置されている机には、今はもう何も置かれていない。本は結局審神者のもので、夕餉の前に返していた。
 座布団を出して座らせ、自身も正面に座る。
「本を、読んだんだよ。君たちがいない間にね」
「……本」
 輪唱のように返されて、笑ってしまいそうになる。彼も読書をするのだろうか。旧知の仲と言っても、共に居られたのはほんの僅かな期間だけだ。その頃には人間のような身体などなかったし、今は空いた時間に何をしているのかも、趣味でさえも詳しくは知らない。
 彼がひとりでいたい時には必要以上に近付かないが、傍にいることを是とした時には言葉もなくそうした。
 恋人だからといって表立って触れ合うわけでもない。時折絡まる視線に笑めば顔を逸らされたり、誰もいない部屋で唇を重ねたことはあっても、その程度だ。
「結末が予想外でね、少し驚かされたんだ」
 昼間に読んだ書は、後味に苦味が残るものだった。主人公の恋人が死に逝くさまを見詰め、最後には主人公も後を追う。愛しい者を力なく見届け衰弱していく主人公を、今度は読者が見送らねばならなかった。
 典型的なお涙ちょうだいのラブストーリーかと思いきや、見る者によって賛否が分かれる最後だ。
 何故、そんな話が書かれていたのか。そして好んで読まれていたものかもわからない。
 ただ、その主人公の目に映る世界は、恋人を失った瞬間に激変していたことだけはわかる。
 何てことない。在り来たりで、何処にでもあるようなタイトルは、未来への希望を思わせていた。話の最後の最後にその意味がわかり、光忠は天を仰ぐことになる。
 絵に描いたような幸福を、この話に求めていたのだろうか。そもそもどんな話かも、この本を見付けた時にはわかっていなかったのに。
 しかし理想的な結末というものはどのジャンルにも存在する。
 恋愛ものならば片想いが両想いになること。推理小説ならばそれが解決するところ。アクションであれば主人公が大きな敵を倒すことだろうか。今回のような死別であれば、主人公が立ち直り心新たに歩むもの。
 そして多くがその通りに話が運ばれていた。
 読む前から期待をしていたのなら、自分のせいだ。勝手に結末を予想し、その通りにならなかったことに憤るなど、何よりもカッコ悪い。ありのままを受け止め、肯定的に捉えられるのが、本当は一番いい。
 光忠とて本の内容に失望したわけではないのだ。
 主人公は用意されていた複数の選択肢のうち、未来のない未来を手にとったのだろう。それも、ひとつの選択だ。
 本の概要を説明すると、そうか、と頷かれる。
「それで?」
 お前は何が言いたいんだ、と。結局はそこに行きつく。真っ直ぐに向けられた金色にはよどみがない。
 死と呼べるものではないけれど、光忠は一度本体が失われている。あの頃は痛みもなく、苦しみもなく、悲しみすらなく燃え尽きた。
 あの経験が苦々しい記憶として甦り、いつか彼を失う日のことを考えていた。全てが終われば、彼が燭台切光忠という存在を失うことを、思い出したのだ。今回は、ただそれだけのこと。
 気付かぬうちに、あの本の主人公と自分自身を重ねていたのだろうか。
 彼を失ったとしても、光忠は後を追わない。何事もなかったかのように立ち回り、寂しいと思う心ごと隠せる自信があった。
「たとえ君を失っても、僕は何も変わらないよ」
 きっと何も変わらないまま、彼がいない日々が続いていく。
 悲しみはいつしか日常に淘汰され、美しいだけの思い出になる。誰のためでもなく、自分のために。
 何気ない日常に紛れた大倶利伽羅という存在が、そのままごっそり消えてなくなる。世界は彼がいなくても回り続け、燭台切光忠は大倶利伽羅がいなくなったからといって消滅しない。
 世界が終わってしまうこともなく、自分や彼が敵に破壊させられたとしても、その瞬間全ての闘いが終わるわけでもない。
「ああ」
 振り返った視線の先に彼がいなくなるだけだ。つい彼の名を呼んでしまっても、その行き場がなくなるだけ。
 応える者はいなくなって、空虚が胸をつくだけ。ありふれた何てことない時間の中で、日に何度もそれが失われたことを思い知らされるだけだ。
 無限に近い時間と果てなく広い世界からしてみたら、取るに足らないことを強く強く味わうことになっても。燭台切光忠の存在が脅かされることは、決してない。
「それでいい」
 君はどうだ、とは問わない。自身が失われたあとの彼がどんな選択をするかなど、聞いても意味がない。
 穏やかな声音に、安堵の色が見えたのは気の所為だろうか。前髪に隠れた表情が微笑んでいるように見えたのは、思い過ごしだろうか。
 きっと、光忠は愛する人のために死ぬことはない。それが本当に愛する人のためになるとは限らないから。
 きっと、愛する人のために生きることもない。結局は自己満足にしかならないから。
 ふとした瞬間に寂しさを思い出し、いつしか美しいだけの記憶にしてしまっても。
 表面的に何かが変わることはない。彼がいなくても光忠は笑うし、時に怒る。他の誰かを愛する可能性も、絶対にないとは限らない。
 後を追ったからといって愛していた証明にはならず、泣いた分だけ悲しみが深いわけでもない。
 大倶利伽羅を失ったとしても全ての戦いが終われば、この身体は消える。彼がいてもいなくても何も変化しない。
 自身が焼けた過去はそのままで、元の時代に存在出来ないのも道理。付喪神は神といえど所詮もとは道具というちっぽけな存在だ。人間に意味を与えられなければ武器にも美術品にもなれず、現在の身体を得てから始まった刃生はまだ短い。
 奇跡に彩られた、最期のまたたきのような生を更に削ろうなどと思えるはずもなかった。
 人間のような身体を持ち、人間のような感情を得て芽生えた恋情は、いつしか互いの思い出になるかもしれない。
 けれどどんな形であれ、過去は過去。変わることはない。
 過去は変えてはならないと知っているからこそ、誰にも変えられないたったひとつの真実だ。
 ゆるりと手を伸ばし、指先で彼の頬に触れる。成人と呼ぶにはまだ幼く、少年と呼ぶには成長しすぎた輪郭。引き結ばれた薄い唇を指でなぞった。
 大倶利伽羅は、嫌なことは嫌とはっきりしている。振り払ってでも拒まないのは許されているから。そう思うのは自惚れではないはずだ。
「………俺は」
 何かを言おうと動いた口唇に、塞ぐように親指を押し付ける。
 彼が時折口にする『死』は、本来は無機物である刀剣にはなかった概念だ。彼がどんな想いでそれを言うのかなど、誰にもわからない。
 明日大倶利伽羅という存在が破壊されても、世界は何も変わらないだろう。
 天変地異もなく、ただただ今まで通りの日常が繰り返されていく。それでも確かなのは、彼を取り囲む刀剣達の心は変わるということ。そして光忠の心に傷跡を残していくということ。
 彼は本当はただ一人でいたいから、一人を望むのかもしれない。もしかしたら、失うことを恐れているのかもしれない。或いは失わせることを減らしたいのかもしれない。
 どれもが仮定でしかなく、彼の真意など、彼自身にしかわからないものだ。
 唇を寄せて、言葉ごと呑み込むように口付ける。
 誰かを失い変わってしまうのも、何かを手放して変わらずにいられるのも、ものさしにはならないだろう。
「君を好きでいる今が、無かった事にはならないからね」
 だから、これだけは変わらない、たったひとつの真実だ。
 今、彼を好きだということ。今、彼の傍にいるということ。
 いつか離れ離れになるとしても。
 重荷を引きずるのではなく、抱き締めて微笑めるようにと。そんな願いを込めて。

 





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